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シンデレラは夢を見ない (2) ![]() 私の一番大切な人が誰だか、バレンチーノフは調べ出したのだ。 部屋に戻ったマリアは、ネックレスを外し、乱暴にドレスを脱ぎ捨てた。 いつもの動きやすいパンツスーツに着替え、肩口でホルスターのベルトを留める。所詮、自分に似つかわしいのは、華やかなアクセサリーではなく、この重い銃なのだ。 私のせいだ。 呼吸が苦しく、速くなった。微笑んで去っていった大神。あの大切な後ろ姿。今どこで、どうしているのだろう。傷つけられてはいないだろうか。それとも、もはや…。 はらわたがよじれるような苦しみに、マリアは堪えきれず呻きを漏らした。必死で背骨に見えない鋼を打ち込んで、体を支える。 隊長の身に何かあったら。 その時は、供に死の河を渡ることになるだろう。私も、あの男も。 早い時間から行きつけの料亭で飲んでいた米田が駆けつけたところへ、マリアは階段を降りてきた。目礼だけして、行き過ぎながら早口に言う。 「私は指定の場所へ向かいます。急がなくては…」 「ちょっと待ってマリア。今月組のメンバーを近辺に配置するよう手配しているわ」 行く手をさえぎるかえでを、マリアはもどかしげに見おろした。 「一人で来いとあります。他人を巻き込みたくありません。これは私の問題です」 「ばかやろう!頭を冷やしやがれ!」 米田が一喝した。 「大神が拉致されたとあっちゃあ、こいつは帝劇全体の問題だ。おまえさん一人の話じゃすまねえんだよ」 「しかし…」 食い下がろうとするマリアの顔色を見て、米田はなだめるように言った。 「月組の連中はプロだ。任せておきな」 「アイリス、ぜったいいっしょにいくんだもん!アイリスならきっと役に立つよ!」 それまで黙っていた最年少の少女が叫ぶと、みな一様に身を乗り出した。 「あたいも行くぜ!」 「ボクも」 「あたしも行きます!」 「おめえらなあ、物見遊山じゃねえんだ。目立つような真似はかえって…」 「あっ、マリア!待って!」 喧騒から踵を返すと、マリアは後も見ずに早足で去った。 「加山君、お願い」 「わかってます」 月組の隊長も、答えと同時に姿を消した。その横を、紅蘭がマリアを追って駆けだした。 「マリアはん!」 紅蘭の声にもマリアは振り向かない。 「待ってえな、マリアはん!」 スーツの裾をつかんで紅蘭が引き留める。 「放して頂戴」 「止めへんて、マリアはん。頼むわ。大神はんを必ず助けてきてや」 紅蘭はマリアの袖口をぎゅっと両手で握りしめた。 「けど、無茶はあかんで。いざとなったら、うちらがついとるよってな」 「…ありがとう」 かろうじて言うと、マリアは紅蘭の手をふりほどいて出ていった。 帝都もはずれ、遊郭に近い浅草田圃には、いかがわしい酒場やカフェーが寄り集まっていた。梅雨時の夜のじっとりした空気に、酒と煙草の匂いが混じって漂っている。マリアは酔っぱらいのひやかす声に耳を傾けず、険しい表情のまま重い空気を切り分けて進んだ。 似たようなうさんくさい店の並びに迷い、やむなく人に尋ねようかと思った矢先に、路地の奥に目的の英文字を見つけた。煤けた蒸気灯の看板の下に、地下へと続く薄暗い階段が伸びていた。 マリアは周囲を見回し、緊張した面もちで降りていった。 軋むドアを開けると、カラン、と乾いたドアベルが鳴った。 煙った店内の空気の中に、数人の客がいた。みな一様に静まりかえり、場違いなマリアの姿を見上げている。だが、バレンチーノフも大神もその中にはいなかった。 マリアはカウンターに向かうと、マスターとおぼしき中年の男に声をかけた。 「ここに、片腕の外国人の男が来なかったか」 「片腕を吊った外人なら来たよ。おとといだったかな」 あっさりと答えが返ってきた。 「ウオッカを飲んでいった。店の名前が気に入ったとか言って…あたしは英語がちょいとわかるんでね。シベリアでオーロラを見た、とかなんとか言ってたっけ」 「その男は…」 マリアが言いかけるのと同時に、店の奥で蒸気電話が鳴った。 外では、酔客に紛れて月組の隊員達が周囲を固めていた。無論、マリアが店に入っていくのを加山は向かいの建物から見守っていた。既に店内をチェックした部下の報告では、バレンチーノフの姿は見あたらないとのことだった。 だが、マリアは出てこないし、バレンチーノフも一向に現れない。加山はついに痺れを切らし、自ら『Aurora』へ乗り込んだ。 「ここに、金髪の女性が入ってこなかったか?」 店内を一別し、即座にマスターに問いかける。 「ああ、ちょうどその人宛に電話がかかってきたんで取り次いだら、裏口から出ていきましたぜ」 「なんだって?」 加山は気色ばんだ。 「車が待ってたらしいですぜ。後から来るあんたに伝えてくれって…」 「やられた!」 加山は店を飛び出していった。 浅草を出た蒸気タクシーは、駒形橋を渡って千住の宿場を抜け、中川の河川敷に向かった。 この界隈には、近年寂れはじめた煉瓦産業の廃工場が多かった。もはや煙を吐くことのない高い煙突が、夜空に向かって寒々と伸び、壊れた窯が空っぽの腹の中を見せている。そのうちの一つの廃ビルの前で、タクシーは止まった。 運転手は何も知らなかった。ただ、マリアを待って連れてくるように言われただけだったようだ。タクシーが去ると、マリアは建物を見上げた。 ロープと杭で囲まれた敷地には、「危険・立ち入り禁止」の立て札があった。 老朽化してボロボロになったビル、いや、かつてビルだったものの残骸と言ったほうがいいだろうか。煉瓦の壁はあちこちが崩落し、鉄骨が醜く突き出している。先日の災害ではなく、4年前の大崩壊によるものだろうか。長い間解体すらされないまま放置されたような有様だった。 最上階の、壊れた壁の影で何かが光った。 煙草の火だ。 蒸気タクシーが着いたのは見えていたはずだ。ならば、あの火はここへ来いという合図か。大神もそこにいるのだろうか。 心臓が激しく肋骨を叩いていた。マリアは深呼吸すると、ホルスターからエンフィールドを抜いた。崩落した瓦礫を踏み越えて、深い穴のような入り口をくぐる。壊れた窓から差し込む月明かりだけを頼りに、半ば崩れた階段を昇っていった。 ドアの落ちた戸口からそっと様子をうかがうと、最上階は、部屋というよりは吹きさらしのテラスのようだった。壁も天井も半分ほどが崩れてなくなり、広々とした夜空が見える。 ちょうど雲が途切れて、まぶしいほどの月明かりが射し込んだ。 漆喰が剥がれ、今にも崩れ落ちそうな煉瓦の壁に、大神がつながれていた。両手にかけられた手錠の鎖が、壁から突き出た鉄骨に引っかけてある。 「隊長…!」 大神が顔を上げ、月明かりに真っ白なマリアの顔を見た。 「マリア…!すまない」 引き延ばされた手首の擦り傷と、憎まれ口の一つも叩いて殴られでもしたのだろうか、唇の端に血が滲んでいるのを眼にとめ、マリアは怒りで眼がくらんだ。 「いよう、マリア。やっと主賓の到着だな」 大神の傍らにいたバレンチーノフと、マリアはようやく対峙した。 まだ四十前のはずだ。だが、バレンチーノフは軽くもう二十歳は老けて見えた。くすんだ銀色の髪はさらに色褪せて光沢を失い、古くなった雪のようだった。肌は黒ずみ、まぶたは弛み、短い顎髭の下に伸びた首には、象の口もとのような深い皺が刻まれていた。 何か悪い病気にでもかかっているのだろうか。一瞬マリアは訝しんだが、同情する気持ちは微塵もなかった。男の左手のナイフが、大神の喉もとに向けられて光っていた。 「ちょうどミスター・オオガミに、おまえのロシアと紐育での活躍ぶりを話していたところだ。おまえがどれほど残酷に敵を屠り、死体の山を築いたかをな。クワッサリー」 男の言葉に、マリアは息を詰まらせた。 「マリア、動揺するな!俺は何も聞いていない!こいつを喜ばせるな!」 「日本語でわめくんじゃねえ」 包帯を巻いた腕で、バレンチーノフが大神の顔を殴った。ごん、という固い音がした。 「その人に手を出すな!」 マリアの狼狽を見て取り、白髪の男は愉快そうに笑った。 「おやおや、大した入れ込みようだなあ、マリア。こんなさえない日本人に。黒髪が好みなのか?」 「貴様…紐育で投獄されてるんじゃなかったのか」 マリアの眼差しは氷点下の冷気を吹き付けた。 「へっ…間抜けなやつらだ。俺が替え玉を置いて脱獄したのに気付きもしないとはな」 バレンチーノフは得意げに顎をそびやかした。 「そう言えば、最近こいつと向こうに行ってたらしいな。出迎えてやりたかったんだが、まだプレゼントの用意ができてなかったもんでな」 舌なめずりをする狼のように、獰猛な笑顔でマリアを見つめる。 「おまえにどうしても誕生日のプレゼントを贈りたくて、またはるばるこんな所まで来ちまった。我ながら物好きだと思うぜ」 マリアは胃がむかつくほどの怒りを抑え、冷ややかに言った。 「彼を放せ。貴様には関係ない」 首を軽く左右に振ると、バレンチーノフはチッチッと舌を鳴らした。 「おいおいマリア、おまえまさか、俺がはいご苦労様とこいつを返してやると思ったわけじゃないだろうな。それとも、型どおりの脅し文句を聞かせて欲しいのか?」 ナイフの刃が大神の喉のあたりをうろうろとさまよった。 「…何が望みだ」 マリアが唸った。片腕の男は満足げに微笑んだ。 「銃を寄越せ」 「よせ!マリア!俺にかまうな!」 大神が叫んだ。がちゃがちゃと鎖を鳴らして手錠を外そうともがく。 マリアは一瞬その重さを惜しんで、エンフィールドを放り投げた。ごとんという固い音とともに、愛銃は敵の足もとに転がった。 代わりに、マリアの足もとに手錠が投げられた。 「そいつで右手と左足首をつなぐんだ。間違えるなよ。右手だ」 マリアは男の顔を睨みつけた眼をそらさず、腰をかがめて手錠をひろった。 「やめるんだ、マリア!」 大神の声を聞きながら、左手に持ち替えて、右手首に片方の輪をかける。それから右膝をついて左足首にもう片端をつないだ。 床にうずくまったような格好のマリアを、バレンチーノフはせせら笑った。 「いい様だな、マリア。屠殺前の家畜みたいだぜ」 マリアよりも大神が憤りに目を剥いた。 「主賓にご着席いただいたところで、パーティーを始めようぜ。やっとプレゼントのお披露目ができるってもんだ」 靴音を鳴らしてマリアに歩み寄ると、ロシア人の男は屈んでその顔をのぞき込んだ。 「4年ぶりか。なつかしいな」 マリアは敵意を込めてかつての上官を見つめていた。 「あの時、不様にも気を失った俺を、おまえはご丁寧に生かしたまま送り返した。それがどれほどまずいやり方だったか、身をもって思い知るがいい」 碧の瞳の中に絶望や恐怖を見いだそうとしたが、見つからなかった。鬱屈した表情を浮かべ、男はマリアを見おろした。 「紐育で俺を消しておくべきだったと言いながら、同じ過ちを繰り返すとは、おまえもどうして馬鹿な奴だ。…もっとも、俺もあの時は失敗した。金ばかりかかったスタア改も、劇場に仕掛けた爆弾もな。まどろっこしい事はやめだ。もっと素直に、ストレートに行かなきゃあな」 そしてマリアに顔を近づけ、やさしく囁くように言った。 「おまえの一番大切な男をつかまえればいい。そして、おまえの目の前で、ズタズタに引き裂いてやるんだ」 マリアの眼が見開かれ、苦しみが浮かぶのを見て取り、バレンチーノフはほくそ笑んだ。 「そしておまえには、俺のこの憎しみを、直接体にたたき込んでやろうと思ってな」 バレンチーノフはナイフを仕舞い、三角巾を外すと、ゆっくりと右腕の包帯をほどきはじめた。 「こいつは弾なんかいらないのさ。俺の精神力がそのまま威力になる。俺の、おまえへの憎しみが、直接おまえの体に突き刺さるんだ。素晴らしいだろう?心からのプレゼントってやつだ。ハハっ…」 男は機嫌よく、饒舌だった。 「ああ、ただこいつはちょいと重たくてなあ。肩が凝っていけねえ」 うっそりと首をまわし、ぽきぽきと軽い音を鳴らす。包帯が最後までほどけ落ちると、鈍く光る金属の固まりが現れた。 かつての義手のかわりに、銃口のようなものが腕から生えていた。周囲に、霊子ケーブルのような導線が幾重にも絡みついている。 マリアは警戒しながら異形の右腕に注視した。 「こいつを研究してた所は、おまえの知り合いらしいな。霊力がどうとかってな。そんなものがなくても、俺はこいつをぶっ放せるのさ」 「…貴様が犯人だったのか!」 大神が憎々しげに呟いたが、バレンチーノフはどうでもいいと言うようにちらと肩越しに見やっただけだった。 「噂を聞いて、何がなんでも欲しくなったんだ。俺の右腕には打ってつけだろう」 右に、左にと振りかざして見せびらかしたあと、勿体をつけるように、ゆっくりと振り向く。 「まずは、この男で威力を見せてやろう」 動けない大神に向かって、バレンチーノフは右腕を振り上げた。底知れぬ悪意が、男の笑顔から発散されていた。 「そこで黙って見物しているんだな。この男の腹に大きな穴があくのを」 支配人室で見たむごたらしい死体の写真が、マリアの頭をよぎった。 「やめろおっ!」 マリアは片手足をつながれたまま、つんのめるように飛び出した。勢いをつけて男の足に体当たりしたのと、ギュウンという妙な銃声が轟いたのは同時だった。 眼の隅を閃光が閃いた。 狙いが反れ、大神の腹の脇の壁に、大きな穴が穿たれていた。ガラガラと煉瓦の破片が床に積もる。 「ちっ…」 男の舌打ちを聞いて、マリアは一瞬安堵した。 と、その穴からびしびしと亀裂が伸びた。 ボロボロの漆喰に走ったひびは、そのまま内側の煉瓦を壊し、穴を広げて天井に到達した。 大神の腕をつないだ壁は、煎餅でも割るように、外側に折れて崩れた。 「隊長!」 マリアは叫んだ。 すべてがスローモーションだった。 一瞬、大神と眼が合った。ありゃ、というような、困ったような表情だった。 その顔が、両手をつないだ鉄骨に引きずられるように、ふうっと視界から抜け落ちた。 マリアは走馬燈を見た。ほんの1秒にも満たないわずかな時間に、己のこれからの人生をすべて垣間見た。大神を失って生きる、悲嘆と後悔のどん底の暗澹たる人生を。 ぐわああん、と、壁が地面に叩きつけられて砕ける音が、遠い雷鳴のように彼方から聞こえてきた。 自分の人生は終わった、とマリアは思った。
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