と黒+
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 未だに夜気には冬の残り香が薄っすらと残っていた。
 寝巻きが汗を吸い、じっとりと湿り気を帯びて、肌にへばりつく。
 暗がりに眠る志摩子の部屋には、只時計の針が時を穿つ音だけが鳴り響いていた。
 火照る体が、閉じ込められた自らの湿気で、余計に熱を帯びていく。
 頭をちらつく虚影。込み上げる情欲。むせ返る甘い匂いを放つ棘の無い百足が這い回り、
白い肌に汗が滲む。高く低く煽動する耳鳴りが、膨れ上がり、鼓膜を食い千切る程に肥大
し、責め立てる。震える指先、涙で滲んだ目蓋は接着剤で閉じられた様にべっとりと貼り
つき、暗がりに視界を開ける事を許さない。
 荒い息遣いが、時を刻む時計の鳴声に混じり、一人きりの部屋を埋めていく。
 「くっ…はぁ…」
 自らの太股の上をそっと這う指先。しどけなく乱れた着物の隙間に、腕が伸びる。
 右手は胸へ、左手は自らの秘すべき場所へと。
 ゆっくりと乳房を撫で上げる様に、持ち上げ、揉みしだく。指の隙間に白い肉がはみ出
し、歪みながら形を変えていく。そっと、ピアノの鍵盤を撫でる手つきで丸く膨らんだ乳
房の輪郭を撫でながら、ぷっつりと勃つ突起へと指を進める。乳首の付け根にある輪を、
なぞり上げると、寒さからかぷつぷつと浮いた肉の雫が指を押し上げている。
 触れる先から肌が熱を帯びていく。胸につかえる情欲の熱塊が気道を遮っているかの様
に、空気が肺へと入っていかない。息苦しい。軽い熱病に冒されている。
 寝起きの其れとは違う、生温い汗がじっとりと溢れ、額から耳へと縦に伝う。
 身を覆う布団を身を捩って剥ぎ取ると、着物の隙間から淡い冷気を含んだ春先の風が滑
り込む。さわっと鳥肌が浮く。
 尚も執拗に、手先が違う意志を持つ生き物の様に貪欲に自らの感じる場所へと動き回る。
親指の腹が、乳首を荒く身体の奥へと押し込んでしまいそうな程、強く捏ね上げる。
 「はぁ…っ!」
 甘い痺れがじくりと胸を突き刺し、茨の蔦となって身体を締め上げていく。体温が上が
り続け、尚も呼吸を圧迫する。荒く漏れる息が、薄白い綿となって部屋の空気に溶け込む。
肌という肌からは汗が、心まで濡らし、ふやかしていきそうな程に汗が溢れ出して来る。
涙で前が霞む。見慣れた天井が、薄暗がりに滲んでいく。尚も必要に自分の胸を舐る指先、
そしてもう片方は自分の陰部へと。
 汗に濡れた太股から、自らの茂みへと指を走らせる。少し伸びた爪が白い肌に赤い線を
つけていく錯覚。手を当てると、肉の花はゆっくりと其の花弁を拡げ、滑る蜜を垂らしな
がら咲き誇っていた。纏わりつく淫猥な体液は、火照る身体よりも尚熱く志摩子の指を締
め付けてくる。掬う様に絡め取ると、自らの陰唇の縁を爪を立てながらなぞっていく。自
ら出した潤滑剤が爪の先に溜まり、泡を立てている。かりかりと執拗に唇の上側を小さく
掻き毟りながら、徐々に襞へと進めていく。
 「ああ…はぁ…ゆ、みさん」
 口をつくのは決して去ってしまったお姉さまの名ではない。
 大切な、極最近手に入れた、ずっと前から手にしていた様な錯覚すら覚える、友人の名
前。無邪気で無垢な、あの笑顔が色欲で濁った目蓋の裏に浮かぶ。小さく花咲く唇、健康
的な首筋、濁りない透き通った瞳。
 背筋にぞくりと熱い蟲が這い回った。びくりびくりと体中に毒が回り、何も考えられな
くなる。あるのは只、狂った様に身体を撫で回し、嬲り続ける指先の衝動だけ。
 白く、白く、白く。
 視界が白く、染まり、黒に侵されていく。
 赤く、赤く、赤く。
 もっと、赤く。
 入り混じる感情の色。
 表面を引き掻くだけでは、飽き足らない。もっと、もっと欲しい。何もかもが欲しい。
 自分の指ではなく、彼女の指で。私は、この悦楽を得たいと云うのに。
 だらしなく卑猥な唾液を垂らす穴へと指先を差し入れる。一本では足りない、二本でも
まだ駄目。三本の指がずるりと滑り込み、其々が自分の意志を持っているかのように、志
摩子の襞を掻き回し、傷痕を刻み付ける。膣の壁に浅い傷がつく度に、甘く香る電気が背
筋を走りぬけ、込み上げる快楽の塊が胸を締め付け続ける。胸にあった指先も、自らの茂
みへと伸びていた。指に掻き回され、べっとりと濡れた肉の蕾が小さく色付いている。固
いしこり。皮の底に眠る、肉芽を人差し指の爪先でこりこりと引っ掻く。
 競り上がってくる動物じみた焦燥。黒く染まりゆく視界。交錯しては明滅し続ける思考。
 「祐巳さ…ん!ゆ…みさ…んっ!」
 口をつくのは、あの人の面影。優しく、其れでいて、永遠に届かない、憧憬。
 聖母の戒めも今は霞む。暗い淵に沈むこの部屋では、何もかもが自身の激しい思慕に飲
み込まれてしまう。信仰の断末魔。中指だけを真っ直ぐに、残りの二本を鉤の様に曲げて、
水音の出る程に激しく子宮の入口を掻き乱す。熱く硬くなった赤黒い真珠を形が歪むほど
につね上げる。何も考えず、何も厭わず、何も悲しまず、何も戒めず、只望むままに感情
の虜へと落ち沈む。
 吐き出した暗がりの吐息に意識を呑まれていきながら、志摩子は絶頂の高みへと昇り詰めて行った。


 障子の向こうには、未だに夜。
 志摩子は荒く細く息を吐きながら、乱れた着物を緩慢に正していった。
 身体には先ほどの行為の残り滓が、温度として微かに残っていた。
 着物を正し、そっと自分の手の平を前に翳してみる。暗闇に慣れた視界、薄青く浮き出
た天井の格子、其れを遮る輪郭のぼやけた五本の指と闇の滞った掌の影。饐えた臭いが鼻
を突いた。
 「祐巳…さん」
 そっと名を呼んだ唇を、指先が撫でる。夜気に溶け込んだ其の名前が、彼女自身であっ
たかのように。そのまま、横に姿勢を崩し、布団の中へと潜り込む。胸の前で、撫でた指
先を抱え込むように。耳鳴り。自分を蔑む罵声。腹の底で熱いまま、溶けない十字架が身
体を苛む。
 側にいてくれた者はもう居ない。後は只、望むばかり。
 手に入らない玩具を望む、子供のように、泣き叫ぶだけ。
 望んではいけないものを、望むだけ。
 でも、其の先に、何があるのだろう。
 欲しいものは手に入らない。手に入れたものは指の隙間から砂の様に零れ落ちてしまう。
 繋ぎ止めるには、どうしたら良いのだろうか。
 「祐巳さん…」
 ―貴女の全てが欲しい。
 含むように、呟く。歯が下唇を噛み締める。
 仄かに酸っぱい味がした。
 其れがはしたなく流したものなのか、違う何かなのか志摩子には分からなかった。


 少しだけだるい。祐巳はマリア様の前で祈りを捧げながら、鉛玉の詰った頭を疎ましく
思った。昨日は、別にする事もなく夜更かしをしてしまったけれど、多分其れだけじゃな
いと思う。下腹に感じる重たい滞りが、確実に体力を吸い取ってしまっている。
 (はぁ…分かってはいたんだけどさ…)
 月に一度の苦しみ。今日来るのは、何となく分かってはいたのだけれども、分かってい
たからって苦しみが減る訳じゃない。お腹に紐で大きな岩を括りつけられているようで、
つい前屈みになってしまう。生きる事に必要な何かが、全部血となって流れていく感じ。
 (今日は体育が無いから良いけど)
 あっても休むより他無いのだけれども、其れでも憂鬱な事に変りはない。
 (山百合会…今日は何かあったかなぁ)
 先代の薔薇様方が卒業してしまった後、自分の肩にも紅薔薇のつぼみという名が重く圧
し掛かってきている。つい、一年前までは決して考えられなかった事。
 (志摩子さんなんか、白薔薇さまだもんね…)
 頭に友人の顔が浮かぶ。
 柔らかい巻き毛をした、人形の様な、今自分を見つめ微笑むマリア像の様な人の顔。ど
んなに奥に閉塞した茨を抱えていても、其れとは見せずに柔らかく、優しく微笑む彼女の顔が。
 支えであり、鏡写しの安堵感をくれる人はもういないというのに。
 其れでも、彼女は笑うのだろうか。
 いつもと同じ様に、気高く優しく、笑うのだろうか。
 胸の奥に、冷えた茨が刺さる。自分は、何も力にはなれないかも知れない。其れでも、
雨宿りの為に寄った庇くらいにはなれないものだろうか。支えになれなくても、只側で休
んでくれるような、そんな。
 「祐巳さん」
 不意に後ろから声がした。
 「うわぁ!」
 突然の呼び声に、心臓が波打つ音が聞こえる。二つに縛った髪を風に揺らせながら、祐
巳は身体ごと振り向いた。
 「驚かせてしまったかしら?」
 其処には、少しの驚愕を滲ませながら、思い描く其れと同じ笑顔を浮かべた彼女の姿。
 「ご、ごきげんよう、志摩子さん」
 「ごきげんよう、祐巳さん」
 慌てふためく姿がそんなに可笑しかったのか、くすくすと小さく笑っていた。
 (ど、ど、どうしよう…朝からみっともない姿を見せちゃったよ…)
 何をそんなに慌てていたのかも分からずに、祐巳は一人で混乱していた。
 「どうかして、祐巳さん?」
 「ううん、何でもないの」
 何でもないと、両手を振る。しかし…
 「祐巳さん?」
 次第に目の前が暗く閉じていくような気がした。力がするりと足元から抜けていく。重
力の腕に引き摺り込まれる。傾く世界、瞳の扉が閉じる、音を塞ぐ耳鳴りの栓、ちかちか
と明滅しながら思考を埋め尽くす何か。気持ち悪い。吐気と頭痛。生理の所為なのか、朝
に飲んだ薬の所為なのか、寝不足の所為なのか、全てが組み合わさっての事なのか、濁り
切った頭では理解出来ない。
 「祐巳さん!」
 肩に強く食い込む白い指先。倒れてしまいそうな身体を、志摩子が受け止めていてくれた。
 「へへ…ちょっと寝不足で」
 「大丈夫なの?」
 「大丈夫、大丈夫」
 声に力が籠もっていないのが自分でも良く分かる。少し、肩が震えている。今にも、滑
り落ちてしまいそう。地面の底へと、落ちていってしまいそう。
 「顔色が少し悪いわ…」
 心配そうに覗き込む顔。澄んだ瞳。少女人形の様に端正な。
 「大丈夫だって…」
 とは言っても、説得力はないのかもしれないと、祐巳はぼんやりと思った。前科もある
事だし、其れに正直言って余り大丈夫でもない。自分の事は、やっぱり自分が分かるもの。
 「少し、何処かで休んだ方が良いわ」
 そう言って、志摩子は彼女の肩を持ったまま、森の中へと連れて行った。


 マリア様の穏かな顔がステンドグラス越しの万華鏡みたいな光の中に浮かび上がる。
 二人は、お御堂にいた。
 「保健室は、少し遠かったから」
 腰掛ける祐巳の隣に座った志摩子は、友人の顔を覗き込みながら、心配そうな表情を崩
さずにそう言った。
 「うん、ありがと」
 (だからって、わざわざお御堂に来るのは志摩子さんらしいな)
 隣に座る友人を思い、少しだけ可笑しくなった。
 春の香が少しだけ入り混じる、朝の空気。建物の中である事以上に静かで、荘厳な空間。
 「私、さ」
 祐巳は自分に含み聴かせる様に呟いた。
 「うん?」
 「私、さ。志摩子さんみたいに綺麗でもないし、頭もそんなに良くないし、何でも平均点じゃない?」
 唐突に話し始めた友人を、怪訝そうに見つめる色素の薄い瞳。ふわふわとした髪が頬を
擽る。少しだけ痒いような、くすぐったいような。
 「だから、此れから紅薔薇のつぼみって呼ばれても、少しだけピンと来なくて…
  昨日の夜さ、そんな風に考え出したら眠れなくなっちゃって」
 「祐巳さん…」
 「其れに、志摩子さんの事も…」
 「私?」
 「うん…私、志摩子さんの事が好き。だから、どうしても力になりたくって…」
 例え、此処に繋ぎとめている、彼女がいなくなってしまっても。ほんの少しの間だけで
も、瞬きするよりも短いとしても、自分は此処に居ても良いと、思って欲しい。そんな風
になりたかった。
 「祐巳さん…」
 「ご、ごめんね。何か、変なこ…!」
 不意に、端正な彼女の顔が目の前に居た。唇越しに伝わる彼女の体温。肉と肉とが触れ
ある優しくて、柔らかい感触。
 自分がキスをされていると気付くのに、少しだけ時間が掛かった。
 彼女の顔が、少し離れるまでの時間が。
 「し、志摩子さん?!」
 「ごめんなさい、急に…」
 でも、と消え入りそうな程に小さく彼女は付け加えた。
 「私、祐巳さんの事が好きなの」


 彼女の無邪気な瞳が戸惑いの色を浮かべているのが分かる。
 口付けた時に伝わった体温、甘い匂い、柔らかい肉の弾力。
 其の全てが、今ほの赤く透き通った感情と、自分自身の抱え込んできたどす黒い粘つく
感情とに入り混じり、業火となって身を焦がしている。自分の瞳が薄汚れていくのが分か
る。欲しい。彼女の全てが欲しい。何を引き換えにしてでも。
 いつから、自分はこんなにも欲張りになっていたのだろう。
 学校も、信仰も、何もかも今は遠く霞む。
 只、彼女だけが欲しい。全てが欲しい。
 「えっと、私、その…」
 自分を傷つけまいとする、瞳の動揺。優しさと云うのは時に、激しく人を傷つける。無
辜の慈愛など、此の世には存在しないのではないのだろうか。神が、自らに仇なす者を許
さないように。裁かなければならない、聖者の悲しみをも嘲笑うかの様に。
 「私は…」
 何かを告げようとする唇にそっと自分の指を当てる。
 「いいの…此れは私の個人的な感情だから…答えは」
 欲しくなかった。手に入らない物を手に入らないと知って、何になるのだろうか?
 「志摩子さん…」
 そう、貴女の心はどうしても、祥子さまの元にあるのね。


 志摩子の顔が悲しみの色に歪む。
 (ごめんなさい…志摩子さん)
 彼女の事は好き。でも、其の好きは、祐麒やお父さんお母さん、由乃さんや令さまと同
じ色。自分勝手なのかもしれない。でも、多分、志摩子の言う好きと自分の好きは違う色。
彼女の言う好きは、自分にとっては…
 「祐巳さん…こんな話を知っている?」
 そう告げて、薄く笑う。其の笑顔は、今までの優しい微笑とは何かが違う。
 同じ容をしていても、何処か、違う。
 「昔ね…フェリシテという女の人が居たの」
 何かで読んだ言葉が祐巳の頭に思い浮かぶ。
 ―どんなに白い白も、本当の白であった試しはない。
 志摩子の声が御堂を埋める早春の朝の空気に溶け込んでいく。
「お金持ちでも、綺麗な訳でも、若い訳でもない女の人だったの。毎日毎日とても寂し
く暮していたのよ。そんなある雨の日に、一人の男の人に出会うの」
 ―一点の翳もない白の中に、目に見えぬ微小な黒が隠れていて、
  其れは常に白の構造そのものである。
 「彼は自分よりも少し年上で、とても優しい人だったの。出会った日以来毎週土曜日に
  なると必ず美味しいお菓子とか綺麗なお花とかを持って逢いに来てくれていたの。そう、
  毎週毎週。そんな中で、彼女はその人に惹かれていったのね。結婚の話とか、そういう
  話は一度もしなかったけれども、彼が来てくれている、其れだけが心が満たされていく
  気がしていた。そんな毎日がずっと続くと思っていたのね」
 ―白は黒を敵視せぬどころか、
  むしろ白は白ゆえに黒を生み、
  黒を育むと理解される。
 「でも、ある日、何時もよりも早く彼がフェリシテの元を訪ねて来たの。少し、おかし
  いと思ったけれど、彼女は快く彼を迎え入れたの。持って来たお菓子の箱も机に置いた
  ままで立っている彼に座るように勧めても、彼は座ろうともしない。どうしたのかと思
  っていたら、彼は突然言うのよ。『僕は結婚する事になったから、もう此処へは来れない』
  って。フェリシテと話していて、自分には妻が必要だと気付いたのだそうよ。こうやっ
  て、暖炉の前で優しく話し合うそういう相手が必要だって。其れだけ言うと、着物でも
  買いなさいと、貴女も良い人を見つけなさいって、お金を置いて彼は行ってしまうの」
 「その…フェリシテさんは、如何したの?」
 自分が愛して、向こうも自分を愛してくれていたと思っていた人が他の人の元へ行って
しまう。其れも、自分が気付かせてくれたと、言い残して。祐巳は、先ほどまで頭を埋め
ていた筈の言葉の最後など、何処かへ消えてしまっているのにも気付かないまま、彼女に
話の続きを求めた。一篇の残酷な童話の、結末を。そして、急に語り始めた彼女の真意を。
 「死んでしまったの」
 「へ?」
 「死んでしまったのよ」
 くすりと笑う、其の笑顔。
 違う。やっぱり、違う。
 私の知っている志摩子さんとは違う。
 「最後に『ああ、厭だ』って言って、窓から飛び降りてしまったの。貧しくて、綺麗で
  もなくて、若くもない、『幸せ』という意味を持つ名前であるフェリシテという女の人は」
 そう言うと、そっと祐巳の首に志摩子の腕が絡みつく。
 「志摩子…さん?」
 「貴女そっくりね、祐巳さん」
 「へ?」
 「その、男の人に」
 不意に志摩子の躯が自分から離れたと思った刹那、首筋に何か生温い茨が締め上げていた。
 「し…こさ…」
 何が起こっているのか分からない。だが、首にぎちぎちと巻きついた硬い感触と志摩子の
左手に煌く十字架が揺れるのが、自分が今ロザリオで首を絞められているという事実を伝
えていた。
 「…ま…こさ…」
 「傷つけまいとして、返って相手を深く傷つけてしまう…そんな優しい所が、とても、
  良く似ているわ」
 笑う。志摩子が笑っている。白い薔薇の名を持つ、彼女の笑顔。
 途切れた言葉の欠片が、再び、そして永遠に閉じていく視界の中に星屑の様に浮き上が
っている気がした。
 ―存在のその瞬間から白は既に黒へと生き始めているのだ、と。


 お姉さまから頂いたロザリオが、ぎちぎちと音を立てて彼女の首筋へと食い込んでいく。
赤い顔が青く、そして土気色へと変色していく様。まるで百面相。お姉さまがそう言って
良く笑った、そんな様。
 手に入らないのならば、奪えば良い。
 誰かの物ならば、掠め取って自分の手元に永遠に凍らせてしまえば良い。
 祥子さまと私を奪い合った、お姉さまの様に。
 ずるりと急に彼女の身体から力が抜けていった。だらりと垂れ下がる腕、口の端からだ
らしなく零れ落ちた赤黒い舌。瞳孔が拡散していく。
 「くすくす…ふふふ…」
 あは、あはははは、あはははははははははははははははははははは。
 あははははははは、あはははははははははははははははははははは。
 あははははははははははははははははははははははははははははは。
 御堂に壊れた玩具が立てる様な志摩子の笑い声が響き渡る。
 「ふふ…ふふふ…此れで」
 貴女は、私だけの物。永遠に心ごと凍らせて。もう誰にも渡さない、誰の手にも渡らな
い。永遠に、永遠に。
 志摩子はロザリオに込めていた力を離す。首筋から滑り落ち、肩にかかった。まるで姉
妹の契りでも交わしたかの様に。祐巳の屍骸をそっと抱きとめると、はみ出した舌へと自
分の舌を絡みつかせる。未だ、温かい。彼女の温もりが、魂の滓が残っていた。
生きている。彼女は未だ生きている。
しゃぶる様に、一方的に彼女の舌を舐め回す。舌を伝い、剥き出しになった歯へと、上
唇、頬、鼻筋を昇り、開かれたままの彼女の瞳へと。眼球を啄ばみながら、尚一層強く身
体を抱きしめる。制服越しに伝わる体温が自身の中へと溶けていく様な錯覚。
 「ん…くちゅ…ふん」
 唾液の立てる水音。懸命に眼球を愛撫しながら、抱き締める片腕をそっとスカートの奥
へと伸ばしていく。温もりが抜け落ちる太股を撫でながら、眼球から耳へ、なぞりながら
首筋へと舌を這い回らせる。まるで、生きている人間を愛撫する様に。
 口を離すと、唾液の糸が彼女の首筋と自分との舌に間で橋を架け、ステンドグラスの虹
色できらきらと光っていた。自分と彼女を繋ぐ細く、温い、糸。
 息が荒い。一人で慰めていた時とは、比べ物にならない程に、興奮していた。
 スカートの奥へと両腕を差し入れ、下穿きを一気に引き降ろす。粘つく感触。祐巳自身
から溢れ出た何かが下着を握り締めている。
 膝より少し前まで引き降ろすと、中へと手を差し入れた。彼女の陰唇が濡れている。指
先をべっとりとした液体が濡らしている。
 「あら…祐巳さんったら。こんなに濡らしちゃって…」
 くすくすと志摩子の含み笑い。口の端が歪んだ、醜い微笑。執拗に、執拗に彼女の秘孔
を弄び、撫でながら、膣の奥へと指を刺し入れていく。緩い。一本では足りない、二本で
も未だ余り、三本でも駄目。入れる指を増やしていく内に、ずっぽりと手首まで彼女の子
宮の入口に埋まってしまった。
 「ふふ…そんなに気持ち良い?」
 再び、舌先を眼球へと伸ばす。ごろりと眼窩の下で丸い水晶が蠢く。今度は、歯で引っ
掻く様に、口の中に含んでしまうかの様に瞳へと口付けた。音を立てて、吸い出すと、半
球形の何かが舌先でくるくると回る。眼球を愛撫しながら、其れでも秘部への責めを止め
る事はない。膣の中を五本の爪がかりかりと淡く掻き回す。ごぼりと音を立てながら、べ
っとりと粘性の強い液体が志摩子の手へと粘りついてくる。
 ずるりと引き抜き、自分の手の平を眺めた。其処には彼女の淫らな体液が…
 「え?」
 赤かった。どす黒い赤。右の掌は紅薔薇が咲いた様に真赤に染まっていた。
 祐巳の月経による物。未だ生きていた時の、残り香。
 「どう…して?」
 未だ温かいのに。未だ彼女の身体は温かいのに。未だ彼女の魂は此処に滞り、凍り付い
ている筈なのに。どうして、彼女は血を流している。
 スカートを捲り上げると、其処にはべっとりとした血と窒息による排泄とでぐちゃぐち
ゃに汚れた椅子があった。饐えた香。
 「嘘…」
 嘘よ…祐巳さん、此れは冗談でしょ?
 死んでないわよね。貴女は未だ死んでなんかいないわよね。
 祥子さまに心奪われたまま、死んでなんかいないわよね。
 がたがたと音を立てて、震える自分の肩を抱きしめる。其れでも、血に濡れた手から香
るのは、血と排泄物と、確かな死の香。
 「いや…」
 祐巳の屍骸。もう動かない瞳が志摩子を静かに見つめていた。
 「いや…いやよ…見ないで、私を見ないで!」
 身体ごと後ろへと振り返り、顔を手で覆う。
 冷たい、血の温度。
 恐る恐る手を離すと、真白い自分の手と、真赤に染まった自分の手と。
 跳ね上げる様に顔を上へと向けると、其処にはマリア様の微笑が。
 虹色の光を浴びた、マリア様の穏かな視線が志摩子をじっと見つめていた。
 「違う…違うわ…違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違
  う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違
  う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違」
 ぼそりぼそりと最後の方は空気に溶けてしまった声。
 ふらりふらりと、志摩子は祐巳から離れ、マリア様からも離れ、御堂からも離れる。


 何処をどう歩いてきたのだろうか。気がつけば、顔の半分を血で染めながら、リリアン
の敷地よりも外へと歩いていた。周りの立てるどよめきも、彼女の耳には聞こえない。只、
違うと呟きながら、歩くよりも他にない。
 違うのよ、祐巳さん。間違いでしょう。私、貴女を殺してなんかいないわよね。きっと
そうよね。だって、貴女、私の指で感じてくれたのでしょう。私の気持ちにも答えてくれ
たのでしょう。貴女の魂はあの身体に凍りついたままになったのでしょう。閉じ込めただ
けよね。そうでしょう。貴女は死んでなんか死んでなんか死んでなんかいないわよね。何
時もの様に笑ってくれるのよね。私の事好きだと言ってくれるのよね。そうよね。そ
 ふわりと、自分の身体が飛んでいた。
 志摩子は、知らぬ内に、車道に出てしまっていた。
 大型トラックのタイヤが地面を擦りつける厭な音が響く。
 青い、空。志摩子の目の前に青い空が広がっていた。マリア様の心。
 重力の腕が、彼女の身体を容赦なく地面へと引き摺り下ろす。
 ぐしゃりと、肉の潰れる音。
 べきりと骨が撓み、破砕する音。
 灰色の土の上。
 赤と黒の花が咲いた。
 花の名前は白薔薇。
 意味は、永遠の別れ。
 違うのよね。
 そう唇は象ったままの、凍り付いた花が。

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